カイロプラクティックの歴史

脊椎や関節を操作する手技療法、古くから存在していました。 紀元前2700年から紀元前1500年の中国、そして古代ギリシャの古文書に腰痛を緩和するための脊椎操作に言及しているものがあります。 さらに、紀元前460年から370年の間に「医学の父」として知られるヒポクラテスは、手技療法の重要性を詳述した文書を書いています。 彼はある著書の中で、「脊椎の知識を得ること、これは多くの病気にとって必要不可欠なものである」と宣言しています。 エジプト、バビロン、シリア、日本、インカ、マヤ、およびネイティブアメリカンの古代文明においても、手技による身体操作が行われていたことを示す証拠が見つかっています。

カイロプラクティックの誕生

1885年にアメリカ・アイオワ州ダベンポートにおいて、D.D.パーマー(D.D.Palmer:1845~1913)が雑役夫のハービー・リラードの頚椎を手で押し込んだところ、それまで17年間聞こえなかった彼の耳が突然聞こえるようになりました。この事がきっかけでカイロプラクティックが生まれました。。ギリシャ語でカイロ(CHIRO)は「手」、プラクティコス(PRACTICOS)は「技術」の事を言います。これらを組み合わせた言葉がカイロプラクティックの語源です。
「カイロプラクティック」は当時、D.D.パーマーの友人であったサムエル・ウィード牧師によって、1896年1月14日に命名されました。

上部頸椎への注目

D.D. パーマーの息子、バートレットジョシュア(B.J.)は、1904年にカイロプラクティックのパーマースクールを引き継ぎ、1950年代まで学校を率いました。 その間、彼は大規模な開発を行い、カイロプラクティックへのX線の導入、脊椎の生体力学と形態学の研究、脊椎の調整と患者のアウトカムの双方の再現性を改善する方法の発見など、当時の最先端の概念を導入しました。 1930年代までに、B.J.パーマーは、特に上頸部と脳幹領域を処置することで、脊椎患者の最高の結果を得ることができることを発見し、その生涯を上部頸椎の知識を教え、さらに前進させることに捧げました 。

より正確な方法を目指して

1940年代、2人の上部頸椎の医師である、ジョン・F・グロスティックとラルフ・グレゴリーが協力して、上部頸椎カイロプラクティックさらに洗練させました。 主に頭蓋骨と首に対するアトラスの90°アライメントするという上部頸部モデルの開発や、側面姿勢での調整、より少ない力で矯正するといった、これまでのカイロプラクティックを大きく変えるものが含まれていました。

グロスティックセミナーが継続するにつれて、上部頸椎の矯正をより正確に再現可能にする方法を見つけることが最も重要な課題となっていました。 ハンドヘルド調整器具は1970年代に進化し、以前の手技による調整方法と同様または優れた結果を達成することができました。 同じ頃、1960年代にグロスティック博士のセミナーで指導をしていたロイ・スウェット博士は、上部頸椎のアジァストメントに専用の矯正テーブルを導入しました。 1982年に彼はその手法を標準化し、矯正のおける人為的なエラーを減らすことを目的として、ロイ・スウェット研究所を開設,アトラスオーソゴナルカイロプラクティックとしてその普及に努めました。